風の時代の暮らし① ~風の時代のガイドライン~

今日は風の時代の変革の流れの中において、暮らしの中で感じられる身近な変化の方向性の可能性について考えてみたいと思います

食生活について

食生活ということにつきましては、これはもう菜食主義的なものがより本格的に各人のスタンダードな食生活様式となりゆくことは疑う余地はありませんことは皆さんもお感じになっている通りです

昨日のニュースにおきましても、「セブン―イレブン・ジャパンは21日、植物由来の原料を肉のように成形した植物肉の一種である「大豆ミート」を食材に使った弁当や調理パンなど計8商品について、九州の店舗で25日以降に順次発売すると発表した。(毎日新聞)」との報道がありました

精神世界における常識として、菜食は霊性を高めて精神の力を養うことに役立つとされていますけれども、わたしの中では菜食主義というのは水瓶座との親和性が高いものとして認識されています

それは水瓶座が常に進歩的な理想主義に敏感であるとともに、理想に従って生活習慣をあらためることにあまり躊躇しない性質を持っていると感じられるからです

風の時代の最初の20年間に水瓶座の影響力がこの上なく強まることと人間の本質部分である霊性が発揮される形で精神的活動が強まることから、風の時代には菜食の食生活が中心となるものと予見されます

これは余談ですけれども、以前海外の掲示板で菜食主義は何座の象意かというような議論がなされているのを見かけましたけれども、様々な意見があり結局のところ結論は出ていませんでした

わたしはその時、どうしてこの人達は動機やプロセスなどを度外視して短絡的な決めつけをしようとしているのか、と訝しく感じました

菜食主義を選択する場合に各人の動機というものは様々なものがある筈であり、美容のため、健康のため、流行っていておしゃれな感じがするから、というようにそれぞれ牡牛座的、乙女座的、天秤座的なアプローチがなされている場合もあれば、医者や知人にすすめられたり、そもそも家族がそうだから、というようにサインとの相関性が介在しない場合もあるわけです

世の中にはこの手の不毛な議論がよくありますので、ある事象に関して論じる場合には、因果関係を細かく分類する形で分析を行うように心掛けることが大切です

さて、菜食の導入に関してですけれども、ここではひとつ重要な注意が必要となります

近年のヨーロッパでは予てからセレブの間で流行していた菜食ブームが大衆化し、一部の先鋭的菜食主義者によって肉類販売店などに対してかなり度の過ぎた嫌がらせや営業妨害などが多発して社会問題化しているようなことが報じられていました

そうした攻撃を受けた方々にとっては、「菜食というのは何と人間の粗野な凶暴さを増すものなのだろう」と感じられたとしてもおかしくないような出来事ではないでしょうか

わたしは一昨日の記事の中で下の様に書きましたけれども、この例のように主義的に形から入るばかりでそこに精神性が伴わないのであれば、如何によい習慣を心掛けたところでまったく意味のないことだ、というようなことが言いたかった訳です

「精神主義とは物質主義の対義語としてあるわけですけれども、物質主義については正しくそれは主義的なものの在り方であると言えますが、精神主義というのはむしろあらゆる主義的なものから脱却する傾向を持つものであり、個々に内在する固有の価値観に基づいて精神的なものを自然体で志向するもののように感じられます

人間の生活スタイルは様々であり、純粋な肉体労働と純粋な頭脳労働の中間の何れかに位置していることに加えて体質というのも千差万別である訳です

そこで各人にとって必要となる栄養の種類と量とはそれぞれ異なるのが当然であり、体質によっては肉食が著しく毒となり害となることもあれば、さほど影響の出ない場合もあるでしょう

食生活というのは個人の嗜好が非常に強く表れる性質のものであり、それを外部から改めるよう促されることには大変に強い苦痛を感じさせるものであると感じられます

先のヨーロッパの先鋭的な菜食主義者の例から分かるとおりに、菜食をしている人の霊性が必ずしも高い訳でもなく、また肉食をしている人の霊性が必ずしも劣っているということは絶対にありません

食生活というのはあくまでも補助的に影響を与えるものであり、その人がどのような精神性で生きているかということが、その方の持つ人間性に専らに影響するのだと考えるべきでしょう

日本における現在の肉食文化の隆盛ぶりから考えれば、菜食主義にシフトする際には大きな社会的ショックが生じる可能性がありますけれども、他者の主体性が損ねられるような言動がなされないよう配慮が必要となるでしょう

日本の場合はものごとが変わる時には一気に変わってしまうのが常ですけれども、そうなりますと現在食料の生産や加工、販売(飲食店を含む)に携わっている方々においては非常に大きな岐路に立たされることになりますので、そうした方々は将来の中長期的展望においては、そのような流れが何れ本格化してくる可能性があるのだと念頭に留めておいていただくことが必要かと感じられます

わたしの場合は15年以上肉類を食することはしておらず、ここ数年に至っては魚介類もほとんど摂取しないようになりましたけれども、人間の身体が新たな食習慣に適応するためには一定の年月が必要となりますので、くれぐれも極端な取り組み方はお止めいただいた方が賢明であると言えます

また、わたしの場合はそもそも肉類は苦手で苦痛だったのですけれども、肉類を食さないという判断をする際には、それによって社会生活の上で他者との関係性に著しい影響が生じることが強く懸念されました

それで慎重に何度も検討を重ねた結果、例え将来的に社会生活を犠牲にする可能性を考慮したとしても、自分が肉食をしていいという理由はまったく見当たらないという結論にいきつきました

けれど結果的には職場での人間関係などに実際にとても大きく影響しましたし、人と付き合うことに関しても大きなハードルが出来てしまったと感じられています

そのように食生活というのは社会生活を営む上で非常に強い影響力を持っているものですから、菜食は風の時代らしい精神活動を大いに高めるものではあるものの、社会の中で漸次的に取り入れられるのに応じて徐々に取り入れていった方がよろしいように感じられます

ちなみに、菜食をしても精神的活動を行わない場合には、脳神経にダメージがあるようなことをシュタイナーは言っているようですのでお気をつけ下さい

精神的活動を志向するわけでもないのに単に形式主義的に菜食を採り入れますと、脳が損なわれて上のヨーロッパの凶暴な人達と同じような行動パターンとなる可能性があるということかも知れません

家族関係について

人間というのは宇宙由来の内的存在と地球由来の外的存在という相矛盾する存在の複合体であり、前者は個我とアストラル体、後者はエーテル体と肉体というようにシュタイナーは説明しています

人間が眠っている間には、アストラル体と個我は肉体とエーテル体から一時的に抜け出た状態になるとされており、寿命が来れば肉体とエーテル体は消滅し、アストラル体以上の人間の本質的部分は精神界へと帰ります

※これらの精神科学的説明につきましては、簡略的に説明しており正確性を欠いている部分もあろうかと思いますので、関心のある方はそれぞれシュタイナーの著作等で確認をお願いいたします

以上のことから家族や先祖という存在は、自分の肉体とエーテル体においてつながりを有するものであり、一方で人間の本質部分である精神性というものはそういったものからはまったく独立した存在であると言うことができるでしょう

つまり、先祖や家族(民族も含む)との関わり合いというのは、輪廻転生の中でカルマ的関わり合いの部分を度外視して考えれば、今生の地上生活においてだけ意味を持つものなのであり、自己の本質部分においては本来的には無関係である、ということが言えます

肉体という道具は霊的存在が地上的に生きるに際して欠くべからざる道具としてあり、その道具としての肉体の特性というのは先祖や両親に依存しています

わたしの父と祖父はともに三十代半ばで早世しているため、父方の親族に関する知識はほとんど皆無だったのですけれども、この九州に移り住んだ際に先祖の出身地で色々調べてみると、自分の一族が自分も含めて一様に似通った職業に就いていたことを知って非常に感慨を覚えたことがあります

そのように一族の間で共有されている体質的なものというのは、職業選択のようにこの世的に生きる手段に関しては実に多大な影響力を持っていると言わなければなりません

一族というのは血縁的なつながりの中で、地上的な生命を維持する上で必要となる、体質などに関わる機能を何れかの方向に特化させながら進化させている、ということのように思われます

しかしそれは個々の人間としての本質部分とは直接的には関わりがないものだ、ということをわたしは強調したく思うわけです

何故このようなことに言及しているのかと言いますと、物質主義的な世の中では血縁というものが必要以上に重要視されてきており、個々本来の人間性が健全に発揮されるに際して、家族関係というのがむしろ阻害要因として機能してしまっている側面が未だに根強くある、と感じられるためです

家族というものは一般的には幸福のイメージを持たされていますけれども、その実、家族によって不幸な目に遭わされている方というのは非常に多いものではないでしょうか

そうしたことは前世のカルマが災いしているに過ぎないという見方もできる一方で、人間が人間らしく生きる上において、一部の家族関係というのがひどくマイナスに作用しているという現実に対して、家族の犠牲となるよりは、個々の人間性を発揮して人類社会の発展に寄与する機会が得られるよう、社会福祉的な観点からサポートされることが必要であると強く感じられます

これまでの物質主義的なあり方から脱却して精神活動を盛んにすることを風の時代のテーマであると捉えれば、従来の因習的な家族関係の無意味で不毛なしがらみの部分からは個々人がもっと解放されることが必要であるとわたしは感じます

勿論、地上で生きる上において祖先や親と言う存在は掛け替えのない貴い存在であることについても、正しく認識されなければならないことであり、家族は家族としての正しい在り方をするよう教育がもっと徹底されるべきでしょう

教育勅語にありますとおり、「父母に考に、兄弟に友に、夫婦相和し」という意識が各家庭において徹底されることが必要なのでありますけれども、近代的個人主義の悪しき弊害によって各家庭内の自由の名の下に非人道的な在り方がまま許されている現状といいますのは、我々が等しく恥と感じなければいけないことではないでしょうか

人間の本質としての人間性というのは家族や先祖に由来するものではなく、その個人の持つ特質に過ぎないことへの理解が広まれば、必要以上に家族が有している負の部分に対する心理的な負い目なども感じる必要性のないものだと気づける筈です

無論、家族から受けた恩は返さなければなりませんけれども、一方的に害を被るだけの関係であれば、自己の本質には何ら関わりのない存在として断ち切ることも時に必要でしょう

風の時代においては、人間存在に対する正しい認識に基づいて、現代社会が抱えている家族に起因する諸々の問題によって個々人本来の人間性が発揮される機会が損ねられることのないよう、社会福祉的な観点から社会制度が整えられる方向に向かうことになるであろうし、またそうあらなければならないことを強く感じるところです

最後に

やはりこうした身近な話題を取り上げますと、個人的な主義主張が強くなってきてしまいますね

これはあくまでもわたしの個人的な見方や理想が反映されたものとして、客観的なフラットな視点でお読みいただき、皆様それぞれが理想的未来像を思い描く際のひとつの参考としていただけましたら幸いです

※なお、血統というものが持っている重要性ということにつきまして、別の観点からの考えがありますので、それにつきましてはまたの機会にあらためてご説明させていただきたいと思います

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風の時代の暮らし① ~風の時代のガイドライン~” に対して2件のコメントがあります。

  1. 傍点。 より:

    6月の記事を最後に、もう記事が更新されることはないのかと残念におもっていましたが、また記事を読むことができ、大変嬉しくおもっております。
    風の時代への移行期、どのようなことが起こるかいろいろ考えておりました。戦争や地震などの災害では物質が破壊され、破壊されたものを修復するにはまた物質に執着することになり、それでは全く移行にはならないと考えておりました。コロナ禍は物質は破壊しないけれどもひとびとの生活は破壊するという、まさしく風の時代へ通じる災厄であるとおもいました。
    風の時代への考察、これからも楽しみにしております。お身体のほうは大丈夫でしょうか。どうぞご無理なさいませんように。

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    1. duct より:

      傍点。さま
      お気遣いいただきまして、誠にありがとうございます
      古くから購読していただいてる方の存在は大変励みになります
      これからも個人的な主義主張に偏らないよう注意しながら、読まれる方々に何らかの形でお役に立てるような内容を配信できればと思います
      今後ともよろしくお願いいたします

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