風の時代の暮らし② ~風の時代のガイドライン~

男女の関係性について

前回書きました家族関係に密接に関係する事柄である新しい時代の男女関係というものについて今日は考えて見たいと思います

家族間の関係にせよ男女間の関係性にせよ、これまでのように因習に捕らわれ形で、その関係性や相互の役割というものが社会や他者などの外部から規定されてしまうような在り方というのは、人間はその本質的部分においてはまったく独立した自由な存在であるとの観点から、完全に払拭されなければならないということが前提としてあるものと考えられます

その上で、個々の人間は家族や異性との関係性というものにあらためて意識的にアプローチをすることが必要となるでしょう

家族や夫婦に限らず、あらゆる人間同士の結びつきというものは、各人が意識的に取り結ぶパートナーシップとしての性格を有しているのでなければならないと感じられます

パートナーシップというのは、互いに協力して共同で人生を創造しゆくためのものであり、因習的な結びつき、すなわち社会習慣として無自覚的な形で惰性的に結ばれている家族間や男女間においては、しばしば相互の利害得失という側面のみが重要視され勝ちであるように感じられます

単に相性の良さだけによる結びつきと言いますのは、相性が良ければよすぎるほど、当人達の間で意識的な関係性の構築が顧みられなくなるという弊害が見られます

もちろん、相手のことがまったく理解できないというような相手とは関係性がそもそも成り立たないでしょうけれども、パートナーを求めるに際しては、相性の良さばかりに焦点が行きがちであることは非常に問題があり、肝心なことは自分が他者との間でパートナーシップの構築を試みようとしているのだという認識をしっかりと弁えていることでしょう

家族にしても恋人や夫婦にしましても、お互いの距離が近くなり共有される空間や時間というものが増えれば増える程、必要となってくるパートナーシップはより高度なものが求められることになるのだという理解を持っていることも非常に重要であり、緊密な人間関係の構築を通じて我々は、非常に高度な課題にチャレンジをしているのだとも言えるのではないかと感じられます

人類は自己存在の中において霊性と肉体の統合というテーマを基本としながら、本来個的存在である人間存在が、他者との共同という形において自他を共同体として統合していく、ということも同様にテーマとして持っているのであり、更にそれは民族、国家、人種、人類というなより広い範囲における統合へと進んでいくべきものであるのであろうと考えられます

それらのすべてが因習的に外部から規定されて無意識的な営みとしてあるのではなく、人間の高い精神性と意志とに基づいて志向されるということが必要となり、風の時代の精神文化においては、人間存在への理解が物質や肉体を中心としたものから、精神的なものへとシフトすることによって、人間を外から規定するような在り方が払拭され、個々の自由意志に基づいて協力的な共同関係が結ばれることがあらゆる関係性の中心的課題となるのではないでしょうか

家族というような血縁的な関係であっても、互いに人間としての自主性が最大限に尊重されることが不可欠な要件としてみなされなければならず、基本的にそれは人と人としての意識的な関係性であるべきではないかと感じられます

愛とは何か

家族や男女間や人類というあらゆる人と人との関係性においてその必要性が認識される「愛」について少しく考えて見たいと思います

「愛」に関しましてはやはりエーリッヒ・フロムの著作である「愛するということ」が有名でしょうか

わたしが以前「愛」というテーマに取り組んだ際には、アルフレッド・アドラーとアドラー学派の著作群というのも非常に参考になりました

フロムは先の著書中にて、「愛は本質的には、意志にもとづいた行為であるべきだ。」と記していますけれども、たしかエドガー・ケイシーのリーディングの中でも「愛とは意志の一形態である」という趣旨の内容のものがあったように記憶していますけれども、ちょっと出典が見つけられません

けれども精神世界においては「愛とは意志の一形態である」ということがスタンダードな解釈なのではないかと感じられるところです

ちなみに中村天風師は「意志とは人間の本質である霊魂に付随する能力」と度々言及していたと思いますし、エドガー・ケイシーのリーディングでも確かほぼ同様の言葉があったように記憶しているところです

わたしの個人的理解としましては、「意志」というのは霊性と肉体の統合をはじめとする、あらゆる統合に際して発揮される精神特有の力であり、「愛」とはその中でも特に「他者との統合」に際して発揮される意志の形態について言うのだ、というように考えているところです

わたしが最も敬愛する作家であるサン=テグジュペリの著作「人間の大地」には次の一節があります

「経験によれば、愛するとは互いに見つめあうことではない。一緒に同じ方向を見つめることだ。」サン=テグジュペリ. 人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

これはあらゆる人間関係というものが、共同して未来を創造しゆくためのパートナーシップとして捉えられるべきことの本質を見事に捉えた言葉として非常に感銘を受けたものです

しかし現状では多くの場合、愛とは求め合うもの、与え合うものとして、その二人の間の閉じた関係性の部分にのみ関心が向けられるに留まっており、互いに求め合い与え合うことばかりに目がいっていると、結局は相手への欲求不満が募っていがみ合うような部分がどうしてもでてきてしまうのではないでしょうか

パートナーシップの成立要件

男女の多くは、最初は双方の遺伝的特質に惹かれる形で相互に惹かれ合うのでしょうけれども、その関係性がパートナーシップとして成立するには一定の条件があります

その一つは、二人が同じ方向を向いていること、すなわち同じ理想、同じ未来を共有しうることです

もうひとつは、二人の人間性がある程度質的に見合っていること、になります

人間性が質的に見合うというのは、平たく言えば人間性のレベルにそんなに大きな差がない、ということです

ですから人間関係が破綻するというのは、双方の成長進度が時間の経過と共にズレてきてしまったり、または目的や目標などにズレが生じてきてしまうことに主な原因があるのだというように考えられるところです

例外的には師弟関係的な関係性というものも考えられますけれども、その場合は一方がもう一方の人間的成長に貢献し、それを自ら喜びとすることが出来ることが条件となるでしょう

以上の事柄は、基本的には家族をはじめとするすべての人間関係においても共通する事柄となりますけれども、我々は如何なる関係性におきましても、霊的成長や人類や社会への貢献という側面を見出すことが必要であり、そうした目標に対してマイナスにしかならない関係性の中にいつまでもグズグズと留まってるべきではないかも知れません

性役割的なもの

ルドルフ・シュタイナーは男女の姿について、「物質的身体とエーテル体という二つの外的な覆いについて語るときにのみ、鋭く示唆しなければなりません。アストラル体と個我は、男女という対極にまったく関係しません。」と語っています

ですから男女というのは、この地上における一時的な姿に過ぎず、人間の本質部分には関係しないものだ、ということは大前提としてこのことについて考えることが必要となるでしょう

しかしながら、物質主義的な世の中においては常に肉体=自己存在のほとんどすべてであるかのように認識されており、そうした誤った認識に基づいてあらゆることが誤った形で語られています

人間の本質部分から考えれば、自分が何人種であり、何民族であり、どのような性別を持つかということは問題とはなりません

しかし、我々がこの地上で受肉するに際して、今生において果たすべき霊的な成長や課題に即した形において、生まれてくる環境としての人種や民族、家系、性別などを意図的に選択して生まれてくるのではないか、ということが考えられなければならないでしょう

我々の霊魂は霊的な目的を地上において達成するため、最適な道具としての肉体を選択しているのだということであり、地上において霊的な目的を達成するためには、生まれ持った肉体とそれに付随する限定的な能力とに依存しなければならないということがあります

人間の本質的な部分である霊性というのはあらゆる制限とは無縁な存在でありながら、この地上においては敢えて制限された肉体的条件下に生まれることによって、はじめて具体的な成果を成し遂げることができるのだ、ということではないかと理解しています

人類の至上命題としてある霊肉の統合というのは、より具体的に言えばそのようなことを指しているのであろうということです

遺伝学などの専門家からよく聞かれる話として、女性はX染色体を2本持っていることから欠陥遺伝子が現れにくい上に強い生命力を持つ、男性はX染色体を1本しか持たないことから欠陥遺伝子が現れやすいとともに生命力が弱く寿命も短い、といったような意見があります

また、女性は遺伝的に能力のバラツキが少なく、男性は遺伝的に能力のバラツキが大きい、ということもよく言われます

シュタイナーは、「女性は過去の進化段階で経験した霊的な形姿を保っています」、「男の場合は正反対です。男は通常の進化点を飛び越え、行きすぎて、平均的な姿よりも物質的な外的形姿を刻印しています。」と語っています

以上のことから、わたしなりに考えますと、女性は地上における生命の安全性に貢献しており、男性は生命の危険を冒しつつ進化と多様性とに貢献している、ということが出来るように感じられます

男性の遺伝的なバラツキの大きさというのは、極端に劣った能力も生まれるという危険を冒しながらも、極端に優れた能力と多様性の出現とに貢献していると考えられるわけですけれども、それは未来へ向けた進化的方向性をより強く持ったものだと言えるのではないか、ということです

そして、それは女性の持つ生命力の強さによって補償されなければならない性質のものである、と言い得るもののように感じられます

女性における美というのは結局は健康の現れと同義であり、女性は自らをより健康的に見せようとして自分を美しく飾るのだ、とわたしは思っていますけれども、古来人間の男性はより美しく健康な女性に惹かれ、女性は優れた男性に惹かれるとされています

つまりより優れた遺伝的形質を発現している男性個体を、より健康で強い生命力を持った女性個体が選択することで、人類全体として、より優れて強い個体を生み出そうとしている方向性を持っているということが言えるのでしょう

これはあくまでも全体の方向性であって、女性的男性や男性的女性、そして虚弱な体質の人間を否定する意味のものではなく、個別的には個々の霊性が地上で果たそうとしている課題に即した個体をそれぞれが選択しているのだと考えられます

このような話題は非常にセンシティブなものであり、極めて慎重に扱う必要がありますけれども、現代においては、自己存在と肉体とをあまりにも同一視しすぎていることから、甚だしい混乱が生じてしまっているところです

肉体というものは精神世界的に考えれば一過性の仮の姿にすぎず、人間の本質とは何ら関わりないものであることを更に強調した上で、尚且つ自らの霊が選択したところの肉体的条件に即して生きることが大切であることも語られなければなりません

最後に

本日の話題に関しましては、本来的には専門家でもなく語る資格もない事柄であり、わたしの個人的見解に過ぎませんことをお断りさせていただきます

何度書き直しても話がどうしてもセンシティブな部分に触れてしまうことになりますので、最後の方は更に詳述して結論を導くことは止めておくことにしたいと思います

現在の物質主義的な考え方により、自己存在を肉体と同一視することから生じている混乱の中でも、男女という性差に関するものの占めているウエイトは高いものと考え取り上げてみました

男女の性差とともに人種差というのものにつきましても同様に、精神主義的な観点から認識が是正される必要があると考えますけれども、そちらもセンシティブな問題を含みますので今回は敢えて触れることは避けたいと思います

何れにしましても風の時代に入りましたら、自然と世の中の考え方は変わってくるものと思いますので、将来の専門家による議論にお任せしたいと思うところです

以上、参考になりましたら幸いです

 

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