感染症対策等への精神主義的なアプローチ ~免疫力と自然治癒力~

はじめに

生命力というのは、若い世代に関しましては主にそれが成長力として最も大きく顕在しているでしょうし、我々成人以降の人間にとりましては、それは免疫力や自然治癒力(疲労からの回復力も含む)といった形で主に顕在しているものでしょう

活力や精力といった呼び方をする場合には、意志の強さや意識の在り方という要素も強く関与して来るものと思いますけれども、ここでは純粋に人間を生存させている基礎的な生命力についてだけ考えてみることにします

何故、今そのようなことについて言及したいかと言えば、現在、新型コロナばかりでなく、梅毒などの性感染症や帯状疱疹をはじめとする様々な感染症の危険、それから様々な化学物質による害や薬害などの危険に私たちはとても晒されている状況にあると感じられているからです

私はコロナ禍以前から、インフルエンザの予防接種状況に関しまして常に非常に大きな関心を抱いて周囲の人々をよく観察していましたけれども、わたしはそれらの従来型の予防接種に関しましても、それを受けた人たちの免疫力がガタガタに崩れてしまっているのではないか、と考えざるを得ないような状況というのを目の当たりにしてきました

もちろん、それに関して何か医学的な根拠があるという訳ではありませんし、それに代わる具体的な証拠というものも持ち合わせている訳ではありませんので、わたしはそうした現象を説明する際には、その人たちがあまりにも精神的に医療に依存し過ぎていて、自身に備わった免疫力で戦おうとしないことに起因して、免疫力を大きく損なってしまう結果を招いてしまうのではないか、というような遠回しに婉曲な言い方をしていました

しかし、本当のところは心の持ち方に起因する影響力についてもそれなりに強くあると考えながらも、接種という人為的な医療行為によってそうしたことが惹き起こされている可能性が非常に強くあるだろうとも確信していたところですし、わたしが職場に勤めていた当時には周囲の人たちに対して、予防接種によって人々の免疫力は攪乱されてガタ落ちにされてしまっているのではないか、などと口にしていましたが、それに対して露骨に白い目で見て来るような人も当然いました

今回のコロナ禍における接種につきましては、わたしも勤めをしていたり家族と一緒に住んでいるような状況であれば、躊躇なく受けざるを得なかったと思いますし、現在の私の環境のように、ほとんど人と接することなく生活することが可能となるような環境下にいるのであれば、人との接触機会を極力減らすような努力が可能な訳ですけれども、普通の人々では中々そうもいかないものでしょう

人間というのは社会的な生き物ですので、周囲の流れに逆らって軋轢を生じさせてしまうと、そのことに起因する精神的ストレスというものも、個人の免疫力などに甚大な影響を与えることになってしまいますし、周囲との人間関係を良好に保つということも、個人の健康を保つ上では極めて重要なファクターであるのに相違ありません

ですので、仮に接種を受けているにしても、そのことに対して後悔をしたり神経質になったりするようなことと言いますのは、精神衛生上避けなければならないことになるでしょう

とはいえ、もし仮にわたしが以前から危惧していたようなことが少なからず実際に起きてくるのだと仮定しました場合には、日本人全体が接種によってその免疫力をガタ落ちにさせてしまっている結果として、それらの人々を中心にして様々な感染症が大いに猛威を振るって蔓延し始める可能性というものが考えられる訳です

正しいアプローチ方法

食事や薬などに関して、わたしも以前は健康オタク的にかなり拘っていた時期もあったりするのですけれども、今はさほどに神経質に気にするようなことはしていません

有害なものを摂り入れてしまった際に、それらは何らかの方法で取り除く必要があるのですけれども、そのための方法としましては、運動や入浴などによる発汗の他、ビタミンやミネラルの摂取やオーガニックなサプリメントなどによるデトックスといったものが考えられます

しかし、世の中の健康志向の人々の多くにおかれましても、その他大多数の人たちと同じように、やはり人間というものを肉体本位で捉えている、という点ではあまり変わらないように感じられます

健康志向を持たれた方々の多くと言いますのは、常に危険なものから如何に避けるかを考え、そしてより安全で効果の高いものを追い求め続けることに常に意識を集中させています

人間が生命体として生存するためになされている働きのほとんどの部分と言いますのは、それが無意識下での営みであることを踏まえれば、何らかの物質を摂取するという外的な行為ばかりに目を向けることは、それらは顕在的な意識活動としてなされることになりますので、過度にそうしたことに熱心になることは、かえって人間の有する無意識下の生命の働きに対して抑制的に働く結果を招いてしまうことにもなりかねません

健康の維持に神経質に取り組むことよりも、物事に無頓着なままで気楽に生きていた方が、はるかに健康を保ちうる可能性というものもあるのだということにも、人間は意識を向ける必要があるのではないかと感じられます

人間がその精神状態を明るく朗らかに保ちながら、内的自己とのつながりの回復に取り組むこと以上に、人間が自身の健康状態を保つ上で重要な事柄というのはないことを十分に踏まえた上で、その他の外的なアプローチについても適度に意識が向けられることが必要なのではないかと感じられるところです

人間の生存に関する生命活動の大半は無意識下における自律神経系統の働きが関与していると考えられ、精神状態のあり方如何がその働きに対して、大変強い影響力を持っているという点に関しましては、先日の記事「精神と肉体の相関性」(2022年1月24日)におきましても少しく触れていたところです

我々の生命の生存ということに関しましては、そのほとんどが我々の顕在意識に与らない部分にて営まれていますので、生命に関することは造物主たる宇宙に「全託」するより他ありません。つまりはお任せの心です

現代人というのは生命を含むすべての事柄を意識的にコントロールしようとし、そうしないことを何か愚かで退歩的なことであるかのように考え勝ちですけれども、人間の生き死にというのは実際にはコントロールできません

ほとんどの場合、人間は寿命によってその命を閉じることになりますけれども、永遠不滅な魂の実在を信じようとせず、この地上における生だけに意識を向ける人たちは、そのような考え方に対しては拒絶的であり、何とかして天に握られている命運を自身のコントロール下におくことに躍起になっています

しかしながら、そのようなことは何れも地上における生に対する著しい執着心を生むことにつながりますけれども、そのことによってかえって死や病が引き寄せられる結果しかもたらされることはありません

何故なら、我々が地上的な存在であるというのは、ほんの仮初めの一時的な存在形態であるのに過ぎず、本来的には我々の本質は常に宇宙的なものに根ざしているし、人間としての生命を保つ上においても、地上的なものよりも遙かに多くの宇宙的エネルギーが関与しているというのが実相である訳ですから、そうした本質部分を否定して地上的な生命形態としての肉体という物質次元に囚われればとらわれる程に、我々は本来的な力を損ねてしまう結果しか来しません

私が二年ほど体調を崩していた期間に、幾度か今度はもうダメかなと思うような症状に深夜に見舞われましたけれども、もし、ここで命を終えるのだとしたら、せめて最後は自分のこれまでの人生に感謝して、微笑みながら逝きたいというように感じました

そして、そのようにして地上的生命に対する執着を手放すと、たいていの場合はその瞬間から体調が急速に回復しだすということを幾度も経験しました

これは運勢においても病においても同じことなのですけれども、本当に今度こそ駄目だというような窮状に際して、無条件に天に感謝して微笑むと、その瞬間から状況は大きく変わり始めることになります

運勢や病においてもたらされる困苦というのは、実際のところは、誤った偏狭な自己意識によってもたらされており、自己と自己の生命への執着心こそが、様々な困苦を作り出しており、唯物的な見方からは何かしらの外的な要因によって何らかの困苦がもたらされているように見えながら、その実は常に内的な要因、つまり心の在り方に起因してそれらの困苦はもたらされているものなのです

何らかの痛みが生じている箇所がある場合に、その痛みを緩和するために行うべきことというのは、まずその箇所の緊張を緩めることなのですけれども、通常は痛みのある個所に意識を集中させてしまい、そのことによってその個所をますます緊張させてしまうことによって、症状を悪化させたり持続させる結果を招いてしまいます

痛みのある個所に意識を集中させないことによってのみ、そして心を安楽に保つことによってのみ、無意識下の自然治癒力は旺盛に働くことができるのですすけれども、現代人の意識状態というのは極度に唯物的で顕在意識的であるとともに、外的な刺激ばかりを追い求める傾向を持ちすぎることによって、常に無意識下の生命の働きを著しく抑制する傾向というものを持っていると言えます

自らの精神状態を適切にコントロールする習慣を持つことなくして、外的な手段ばかりによって健康の維持回復を図ろうとする試みの多くは、あまり根本的な解決をもたらすことがなく、一時的な改善かあるいは症状を他の別の症状に移し替えるような結果しか生みません

しかしながら、毒を摂取すればどんな聖人君主といえども肉体を害される結果になることもまた事実でありますので、適切な外的なアプローチというものも不可欠的な要素であることも間違いありませんけれども、自身の精神のコントロールによる内的自己とのつながりというものを度外視して、例えそれが自然由来のものであろうと外的な手段に偏った形のアプローチだけが意識されるような場合には、精神的な次元で新たな危険が生じてくるのです

人間というのは理想を言えば、自己の運勢や健康状態などに対してよりも、より多くの関心を人間同士の絆や相互愛というものに対して向けているべき存在であるということを忘れるべきではありません

そうしたことの参考としましてシュタイナーの言を次に引用します

『なにを食べるかの決断は、個々人の個人的な状況によってなされます。肉食をしないと、人間の生活全体の進化は真に容易になりますが、狂信的な菜食主義者になってミルクや乳製品を避けるのは、重大な事態です。魂が霊的なものへと進化していくとき、ある危険が存在します。ミルクや乳製品を摂らないようにすると、地上からの離脱に対する愛が生じるのです。地上の人間的なものとの結びつきを失いやすくなるのです。人智学(アントロポゾフィー)的に努力している人は、熱狂的に地上的ー人間的なものとの関係を取り除きたいと思うようにならないように注意するのがよいのです。』(シュタイナー著「健康と食事」よりイザラ書房)

人が熱心に健康的な生活を志向するような場合に、次第に社会や人々に対する愛の気持ちが薄れていく傾向というものが常に生まれて来る危険というものがあります

これは過去の私においても経験されたことのあることであり、次第に世の中が疎ましくなって離脱したい気持ちが出てくるとともに、そうした気持ちの裏返しとして、人や世の中に対する愛の気持ちが薄まってくるということが実際に非常に容易に起こるのです

わたしはそうした自分の感情の変化に違和感を感じはじめたので、あまりストイックに健康にこだわり続けるようなことは意識的に辞めた次第です

無意識の働きを活性化する

我々が自身の健康を保つ上でもっとも重要なことは、生命の無意識下の働きを活性化することによって、免疫力や自然治癒力の力を最大限に発揮することに外なりません

そのためには、十分な良質な睡眠をとるということが何にも増して重要なこととなる訳ですけれども、現代人の多くは日頃の在り方があまりにも顕在意識的な方向に意識が向けられ、外的な刺激を受けることばかりに夢中になっているせいで、既に良質な睡眠をとることができないような状態が常態化してしまっていると考えられます

そうした場合に、様々な手段で心身の緊張を解し、心の安寧を得るようにしていかなければなりません

眠りにつく以前の段階におきまして、昼間の活動による心身の緊張状態を十分に和らげておくことが必要となりますけれども、所謂「自動運動」と呼ばれるものが、比較的普遍的で取り組みやすい方法なのではないかと感じられます

※【自動運動】 〘名〙 意志によらないで起こる機械的運動。特に、その原因が内部の原因による運動をいう。ー精選版 日本国語大辞典ーより

「スワイショウ」:スワイショウというのは、中国の気功における準備体操ですけれども、何種類かのやり方がありますけれども、最も基本的なのは両足を肩幅くらいに開いて立って、両腕を前後に振るという単純な動作のものです

詳しいやり方につきましては、ネットで検索すれば説明や動画がたくさんあると思いますけれども、TVを見ながらでもいいので、最低でも20分間くらいを目安に、できれば3~40分行っていただければ十分かと思います

私の場合は、これをやりだすとすぐに体が内側から緩みだして盛んに欠伸が出てきます、そして欠伸が出なくなるまでやりますと、心身の緊張が十分に解れた状態になります

この運動は、特に視覚を通じた電子媒体からの刺激によって、気が上にのぼってしまった状態から、容易に下半身に気をおろすことに役立ちます

心身の状態が悪くなる時と言いますのは、眉間の奥の辺りに気の詰まりのようなものを感じる状態になっていることが多く、このスワイショウを一定時間行いますと、その詰まりが取れて眉間の奥の辺りが呼吸に際してスース―した感じになるようになります

眉間の奥には魂の座と呼ばれる松果体がありますけれども、人間は呼吸とともにこの松果体を通じて宇宙から見えないエネルギーを吸収しており、松果体で受けたエネルギーが頸椎(確か第3頸椎)を通じてみぞおちの辺りにある太陽神経叢に蓄えられ、そこから全身に行きわたるという経路を辿ります

チャクラで考えれば、眉間の奥の濃紺の第6チャクラ→喉の青色の第5チャクラ→、みぞおちの黄色の第3チャクラ、といった順序でそれらの場所と色でイメージしながら、宇宙からのエネルギーを各チャクラを通して流していくイメージを持ちながらやると比較的取り組みやすいかと思います

気功などにおきましては、よく頭のてっぺんやおでこの辺りから息を吸うということが言われますけれども、その様な感覚で呼吸しますと、スワイショウの場合と同じように松果体の辺りに感じられる詰まりのような状態が解消されていきます

人間というのは、エネルギー源として食べ物ばかりに関心を向けていますけれども、実際には人間が生存する上で必要となるエネルギーの大半というのは、呼吸を通じてそのような形で宇宙からもたらされています

整体の大家である野口晴哉師も、「背骨で呼吸する」ということを盛んに言っており、背骨で呼吸することでどんな病気も治るというように言っていましたけれども、それはつまりチャクラを通じて宇宙エネルギーを上方から補給することについて、上で述べたことと同様のことを言っておられたのだとわたしは理解しています

『呼吸は鼻でするものと決めてしまっている人がある。中でも大切なことは背骨で呼吸することだ。特に心を背骨に集中して背骨で腰椎まで吸い込むことは、一切の健康問題を解決する力をもっている。そして背骨から腰で息を調えると疲れない、老いない、いつも元気に、活き活き生きられる。』(野口晴哉著「愉気法2」より全生社)

ちなみに野口師は「活元運動」という自動運動も創案されていて、くしゃみや欠伸なども広義で言えば活元運動の一種というように整理されています

また、中村天風師におかれましても、クンバハカ密法(天風式丹田呼吸法)や養動法という自動運動について説かれていました

起きていることが辛いような体調の時でも、仰臥で行う養動法を行って心身を緩めることができ、それは仰向けに寝た姿勢で踵の辺りに少し力を入れて踏ん張って腰を少しだけ浮かせながら左右に揺するようにするというものです

そのように呼吸法や自動運動も様々なものがある訳ですけれども、分かりやすくて取り組みやすいのはやはり腕を前後に振る形のスワイショウとなるでしょう、そして呼吸法に関しましては、頭頂部やおでこから息をするイメージで眉間の奥の松果体を意識して息を吸うことをしていれば、効果としては十分なものが得られるかと思います

私の場合も、体調を著しく崩した場合に、寝床で松果体の辺りを意識して、そこがスース―する感じで感じられる状態を維持しながら呼吸を続けているだけで、大抵の不調を回復させることがいつもできています

その他にも全身を緩めていく自己暗示法なども同時にやるといいのですけれども、こちらはリラックス法という形で様々なやり方が流布されているかと思います

普段から就寝時に全身の部位を内臓まで含めて隈なく緩める自己暗示法を習得していれば、痛みのある個所を緩めるということも比較的できやすくはなろうかと思います

人間にとってもっとも大切なエネルギーというのは、呼吸を通じた宇宙エネルギーの摂取であるという認識をきちんと持つことは、皆さんの健康維持に欠かせないものであると個人的には考えていますけれども、唯物的に目に見えるものを中心にしか考えない現代人は、やはりどうしても食べ物などによって栄養を摂取しているという考え方の方を重視してしまい勝ちでしょう

そのような誤謬を正す上で、次のようなシュタイナーの言を紹介しておきます

わたしたちは本来、地上の素材をなにも必要としないのです。わたしたちがものを食べるのは、たんに刺激を得るためなのです。わたしたちは、上方にあるものから身体を構築しているのです。なにかを食べ、しばらく体内に保持し、そして排泄すると考えるのは、まったく事実に即していません。そのような過程は、たんに刺激を与えているだけなのです。このような過程をとおして、エーテルから力がやってきます。このエーテルから、わたしたちは身体のすべてを構築しているのです。わたしたちのなかにあるものは、地上の素材から構築されたものではありません。わたしたちが食べものを必要とするのは事実なのですが、わたしたちはその食べものを摂取するのではないのです。』(シュタイナー著「健康と食事」よりイザラ書房)

二義的な方法

上の項で簡単に紹介しました「自動運動」の意義の最たる部分と言いますのは、それが浅い瞑想状態を惹き起こすものであるというところにあり、それは内的自己とのつながりの回復ということを直接的に意味しています

それに続いて呼吸に関して触れましたのは、半覚醒状態となり内的自己とのつながりが回復してくれば、その内的自己を通じて宇宙エネルギーとのつながりもまた強めることができることになるからであり、呼吸法というのは実際に宇宙エネルギーを取り込むためのもっとも効率的で効果的な方法であるということになります

自動運動と呼吸法とは、内的自己とのつながりを通して宇宙エネルギーとのつながりを強めるという形で、人間の生命力を極めて本来的なあり方で高めてくれる訳です

ですから、それらは既に一義的な内的アプローチとして整理してよいものなのであり、しかも誰にでも取り組みやすくて長期的に習慣化しやすいものに絞って紹介をしました

そうした内的自己とのつながりや宇宙とのつながりを回復するという内的アプローチがまず最初にとられなければなりません

そうした上で、外的なアプローチについても考えることが必要です

デトックスとして、あまりお金も掛からず、比較的取り組みやすくて効果があるものとしておすすめするものとしましては、エドガー・ケイシーもよく勧めていた「エプソムソルト(硫酸マグネシウム)」によるマグネシウム浴などがよいのではないかと思います

ご参考までに、私がいつもアマゾンで購入しておりますのは次の商品です
国産 エプソムソルト シークリスタルス 8.8kg(2.2kgX4) 約58回分 入浴剤 無香料 計量スプーン付 浴用化粧品認定 日本製 岡山県産

もう一つ、上のエプソムソルトと同時あるいは単独で入浴剤として使えて掃除などにも重宝し、加えて重曹水として飲用にも使えるもので、わたしが購入しているものとして次のような商品もあります
国産重曹 4.7kg (炭酸水素ナトリウム)食品添加物 [02] NICHIGA(ニチガ)

これらは所謂鉱物ですけれども、昨年11月の記事におきまして、鉱物が肉体にもたらす浄化作用(つまりデトックス)について触れていたところです

医療においては通常は物理的・化学的手段によって病状を和らげたり取り除いたりという処置をとる訳ですけれども、これはもっぱら人間を機械として見なす唯物的な考え方に基づいたものです

我々人類は古来自然の中に、我々を外的に癒やしてくれるものを多く見出しており、それらは漢方やハーブなどに用いられている植物や動物、そして鉱物などの自然物に由来した素材となります

人間というのは創造主によって自由意志を与えられた結果として、自然の枠組みから逸脱し勝ちな存在となってしまったため、人間を構成している鉱物的、植物的、動物的な部分というのは、とかく自然で純粋な状態から逸脱して乱れを生じてしまい勝ちとなっています

一方で自然界におけるすべての存在は、すべては自然が定めた法則に従ってそこから逸脱することが決してないため、それらは人間の場合のように乱れることはなく、生まれたままの極めてピュアな状態を保っていると言うことが出来ます

鉄に磁石をくっつけておくと、磁石の持つ磁場によって間もなく鉄も磁化されるということは小学生でも知っていることと思いますけれども、同様に自然由来の歪んでいない純粋な物質を人体に作用させれば、それによって人間は元の自然的な健康状態を回復することができます

ルドルフ・シュタイナーは、アストラル体に起因する病に対しては、動物からその薬となるものを採取することができ、エーテル体に起因する不具合に対しては同様に植物由来のもの、肉体に起因する病気に対しては鉱物からその薬となるものが得られる、というように語っていたと記憶しています

しかし、もっと身近な例を考えて見ますと、動物と接することによって人間は癒やされるということがあります

これは動物の穢れていない純粋な波動が、磁石が鉄を磁化させるように人間に作用する結果なのだとわたしは考えますけれども、人間が動物によって癒やされるというのは、主に感情的に癒やされる、ということなのではないでしょうか

それはつまり、自然の純粋な状態にある動物のアストラル体が、人間の乱れ勝ちなアストラル体に良い方向の感化を与えて整えてくれるのだ、ということであると感じられます

人間は植物によっても癒やされますけれども、動物の場合では動物が人間を感情的に癒やす、という言い方が相応しいものだと感じられますけれども、植物についてはそれとは少しく別様のものが感じられます

植物はそもそもアストラル体を有してはいませんから当然のことなのですけれども、代わりに、人間の生命は植物によって安らぐ、ということが言えるのではないかと感じられます

これは、植物のエーテル体が持つ純粋な波動が人間の乱れがちなエーテル体に作用して、人間の生命力が整って心地好く癒やされるのだ、ということではないかと思いますけれども、人間の気が植物によって整えられることによって生命の安らぎが感じられる、ということのようにわたしには感じられます

最後は鉱物ですけれども、これについては人間は鉱物によって清められる、という言い方が相応しいように感じられます

神社の境内には玉砂利が敷かれており、それは清浄さの象徴ですけれども、塩もまた鉱物であり、こちらも身体や場所を清める目的で古来から活用されています

人間の肉体を構成する最も多くの成分である水というものも、これを用いて禊ぎがなされるというように、鉱物などの自然物の持つ波動によって、人間の乱れがちな肉体の波動が純粋さを取り戻すことについては、癒やされるというよりも清められる、という表現の方が相応しいように感じられます

このように鉱物や水は、人間の肉体や場所などの清めに欠かせない訳ですけれども、水に浸かる入浴というものも、それは身体の垢や汚れを落とすというような物理的な作用の面ばかりでなく、我々の身体の波動を正常に整えてくれる清めの作用があるということが言えるだろうと考えられます

出生月への経過冥王星のスクエア」(2021年11月23日)

つまり、何らかの化学的物質によって汚染された身体を、まずは鉱物由来の力でデトックスするということがまず最初に為されることが必要になります

そうしたことに続いて、植物系由来のものによって生命力を回復させるための外的なアプローチが考えられるべきでしょう

内服するような鉱物由来のビタミンやミネラル類などは、人によって必要となるものが異なると思いますけれども、最初に紹介したマグネシウムによる浄化は最も基本的で普遍的なものとして考えられていいように感じられますし、マグネシウムに関しては経口接種よりも経皮吸収の方が遙かに吸収効率よいと言われています

マグネシウムはうつ病の治療には欠かせない栄養素の一つとされており、セロトニンとドーパミンの分泌を増やしてコルチゾールの生成を抑えるとされていますけれども、自律神経を整えたり精神的ストレスによる疲労を回復させる効果があるとされているようですので、自律神経が生命の営みに大きく関与していることを考えれば、免疫力や自然治癒力の回復のために真っ先に勧められるべきものとして考えられてよいものかも知れません

重曹は疲労やストレスなどで酸性に傾きがちな体内のphを弱アルカリ性に調えてくれますけれども、元々は胃腸薬であり、便秘の解消にも効果がありますけれども、多少の塩分が含まれていることからも、体内を浄化して清めてくれる作用というものが大いに期待できるのではないでしょうか

重曹風呂はとても暖まるし肌がツルツルになって極めて心地好いですけれども、コップ一杯に対して小さじ半分ほどの重曹を入れて重曹水として飲む方が効果が高いかも知れません

その他のビタミンやミネラルなどに関しましては、皆さんの体質や症状、お財布と相談して各自でご検討いただければと思います

最近よく耳にするものとしましては、亜鉛、ビタミンD3,フルボ酸など色々と耳にしますけれども、この手のものは凝り出すと切りがありませんので、それよりも日本の伝統的な発酵食品である納豆、味噌、漬け物といった発酵食品や海藻類、梅干しなどを日頃の食事で摂取しているだけでも、デトックスに関してはかなりの効果が期待できるものと考えられています

続いて植物系由来のものとしましては、わたしもかつては様々なアロマオイルやハーブティーをよく購入していましたけれども、今は金銭的にきつくなってしまい購入していません

ハーブティーなどは一般的に考えられているよりも遙かに優れた強い薬効を持っていますので、こちらもそれぞれの体質や症状や懐具合に応じて各自でご検討いただければよろしいかと思います

ウクライナ情勢に関して

先日の記事でも少しだけ触れましたけれども、その後、ロシアは本格的にウクライナに侵攻する流れとなりました

わたしは、日本のTV局がほとんどその件について報道していない頃から、ネットで当該情報をチェックしていましたけれども、今回の一件と言いますのは、明らかに米国を中心とする西側諸国によって仕掛けられたものであり、ロシア側としてはあのような行動に出ざるを得ないような状況に追い込まれていた、というように強く感じられました

おそらく、以前から注視していた方々のほとんどは同様の感想を持っている方が多いと思いますけれども、それは現在日本のマスコミが一様に報じている内容とはかなり印象の異なるものであることについて、一言言っておきたいと思いました

別にロシアが全面的に善であり西側諸国が全面的に悪であるというような積りは毛頭ないのですけれども、実相としましては善と見られるものの中にも悪があり、悪として見られているものの中にも善があるというように、非常に複雑に入り組んでいるとことがあるのだと感じられます

その辺の事情に関しましては、つい先日の記事で書きましたように、「悪が悪として存在することによって、むしろ社会全体においては一定の健全さが保たれるが、そうした悪を駆逐することによって、小さな部分的な悪が世の中に蔓延ることに歯止めが掛からなくなるとともに、ついには社会の中心部に悪が浸透して社会全体を支配することを許してしまう」といった趣旨の内容をご参考にお考えいただければよろしいかと思いますけれども、構図としては我々の社会で起きていたことと相通ずる要素を今回のロシアの件も持っているものと感じられます

今の世の中におきましては、どちらかというと悪人的にみられている存在の方が、社会全体が悪い方向へと傾斜していく流れに対して抵抗してくれているような側面が多いところがあるように感じられているところであり、それはトランプ氏などについても言えるのですけれども、私にはバイデン大統領などの方がよほど悪魔的な存在の匂いがするようにしかはじめから感じられませんでした

西側諸国はロシアが小規模な侵攻しかしないと高を括っていたようですけれども、そうした思惑に反して一気に全面的な侵攻に踏み切ったプーチンというのは、一筋縄ではいかない強かな政治家であることにあらためて思い知らされます

何れにしましても、これで世界はまったく新しい局面に足を踏み入れることになりましたし、第三次世界大戦にまで発展する可能性というのもある程度、現実味を帯びてきてしまったことになります

コロナ禍やその裏で進行しているワクチン禍、そして今回の東西冷戦の復活と言いますのも、すべてはアーリマンという霊的存在がこの第三千年紀に西洋において人間に受肉し、人間から精神的な部分を取り除いて完全に唯物的な存在にして支配していくという、シュタイナーが予言していた流れに密接に関係していることは間違いありません

しかし、これ程までのことが起きて来ない限りは、多くの人々が真剣に精神主義的な生き方に目覚めようとしないこともまた確かなことなのであり、人間の本性が霊であることを少なからず信じる人々によって、増々強められていく世界の唯物化の流れに対抗していく流れが作られていくのでなければなりません

『・・・一九九八年(六六六×三)に悪魔的存在が地上に誕生し、二一世紀前半中にも活動を開始する、とシュタイナー学派では見ている。他方、本書でシュタイナーも語っているが、BC三一〇一年に始まった暗黒時代の第一期がAD一八九九年に終了し、精神世界への見通しが明るくくなってきている。幾多の困難が今後もやってくるだろうが、全体的には世界は精神化に向かっている。物欲の時代は終わり、心魂浄化の時代が始まっている。時代の流れを促進するか、物質に執着して混迷を深めるか、個人個人の生活が岐路に立っている。・・・二〇一一年季夏 西川隆範』(シュタイナー著「天地の未来」(風濤社)の冒頭の訳者西川隆範氏による緒言より

おわりに

今、様々な健康被害に遭われている方々がいらっしゃるとともに、これから様々な感染症が蔓延していく可能性が高いことを踏まえまして、今回の標題で記事を書こうと思い立ったのですけれども、内容的には甚だ不十分なものに留まっているかと思いますし、いつもながら冗長で纏まらない内容となってしまい大変申し訳ありません

次第に様々な事態が急展開を見せており、心の落ち着かないような日々となっておりますけれども、あらゆることは人間の精神主義的な生き方への回帰を促すために生じてきているものとの認識に立って、腰を据えて長期的に取り組んでいく心構えが大切になろうかと感じられます

最後に、全国有志医師の会のチラシとその内容とをご紹介しておきたいと思います

新型コロナワクチンを打っても感染を防ぐことはできません。
●接種を繰り返すほど副反応発現の可能性を高めます。
●副作用には心臓障害、血栓症、自己免疫疾患、アレルギー、がん、免疫不全、生殖細胞障害、脳障害慢性疲労症候群などが挙げられており、全く予測不能なものとなっています。
●子どもへの(5才~15才)コロナワクチン接種の即時中止を求めます

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