令和の岩戸開きと今上陛下 ~風の時代のガイドライン~

はじめに

前回は2025年前後からのトランスサタニアンの同時期イングレスを岩戸開きに登場する天津神と見立てるとともに、それらが相互にミニトラインをタイトに形成する様を令和の岩戸開きと見立て、風の時代の変革の実質的なトリガーとなるとものと予想し、それを主にブロックチェーンとの相関で語ってみたところです

このブログにおきましては、風の時代の変革に際して、暗号通貨の他に今上陛下に関しましても、その相関性を当初から見ていましたので、今回は令和の岩戸開きに関しまして、今上陛下のホロスコープとの相関で考察を深めてみたいと思います

今上陛下の出生図との相関

まず、トランスサタニアンの同時期イングレスに際して、今上陛下の水瓶座1度の出生火星及び4度の出生金星に関しまして、短期間に次のような配置が生じることとなります

<出生火星(水瓶座1度)>
・経過冥王星とのコンジャンクション:2023年3月と6月、2024年1月と8月と11月
・経過海王星とのセクスタイル   :2025年4月、2026年1月
・経過天王星とのトライン     :2025年7月と11月、2026年4月

<出生金星(水瓶座4度)>
・経過冥王星とのコンジャンクション:2025年3月と6月、2026年1月と9月と11月
・経過海王星とのセクスタイル   :2026年4月と9月、2027年3月
・経過天王星とのトライン     :2026年6月と12月、2027年4月

ちょうど1年前の記事におきましても考察をし、陛下の出生火星と金星の意味について考えたのですけれども、主に重視しているのは火星についてとなります

火星というのは対外的に示される言動を表します

基本的な言語能力と思考能力は水星の範疇ですけれども、水星が機能するのは家族や身近な友人間などにおける私的なコミュニケーションの範疇においてであり、火星は外の世界に向かって意図的・戦略的に発せられる言動のすべてを、水星の基本能力をベースとしながら担うものとして捉えられます

(中略)

そしてこの「言霊」の持つ力というのは、即ち「火星」を通じて発揮されるものであるとわたしは考えています

(中略)

歴代天皇は時代の節目節目に詔(みことのり)を発する形、すなわち言霊でこの国を統治してきましたので、今上陛下の水瓶座1度の火星というのは、日本人が民族として一丸となって風の時代を創造していく際の方向性を決定づける天皇のお言葉の力を強く暗示していることになります

(中略)

占星術的見地から今上陛下のホロスコープと重要な天体配置との相関から言える確かなことは、風の時代においては日本が主導的な役割を演じるであろうし、日本人がその民族的使命としての本領を発揮するため、民族を霊的に結束させるために不可欠な立場におられる天皇が、言霊を通じて日本人の霊性に訴えかけるであろうことが示唆されていると考えられます

「天皇と風の時代との相関性」より

この時は、実はより突っ込んだ内容を考えていたのですけれども、大分表現をぼやかしたところも実はあり、何故そうしたかと申しますと、わたしは今上陛下は何れは現行の憲法の枠を越えたレベルのご発言をなされるようになるだろうと感じていたのですけれども、そうした事柄について軽々に表現するわけにも行かなかったからです

日本国憲法第4条には次のように定められています

第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」

つまりは天皇は政治に関与してはならない、ということになっています

しかしながら、今般のオリンピック・パラリンピックの開催に関しまして、宮内庁長官による次のような極めて異例な発言があって大分世間を騒がせたところです

「天皇陛下は、現下の新型コロナウイルスの感染状況を大変心配されている。国民の間に不安の声がある中でオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか懸念されていると拝察する」

これは陛下が直接ご発言されたものではないにしても、オリパラの開催によって国民の間に新型コロナウィルスの感染が拡大することに対する強いご懸念を陛下がお持ちであったということは確実とみられ、そのことを不用意に漏らしてしまった長官のあり方に対して、様々な意見が交わされたわけですけれども、政府のオリパラを断行する姿勢に懸念を表明することは政治介入とも受け取られ兼ねない内容ということになります

ちなみにこの長官発言の内容については海外の主要メディアもこぞって天皇陛下がオリパラ開催に懸念を示したとして報じていた模様です

わたしはオリパラを開催すべきだったのかどうかについてはどちらでもよいと思うのですけれども、良かった面もあればそうではない面の両方があったろうと感じます

しかし肝心なことは、天皇陛下がご懸念されたのと同様に、ほとんどの国民は大きな不安な気持ちとともに、コロナ禍で自粛を余儀なくされる中で世界的イベントが強行されることについて、大きな疑念を抱いていた訳ですけれども、そのような国民の心情に対して、政府からは何のフォローもなされないままに、ただ粛々と一方的な形で強行されたというイメージが拭えない点です

菅総理大臣は言わば天皇のご懸念をガン無視するとともに、国民心情にも一切顧みない姿勢を見せているとも受け取れるわけであり、こうした出来事は後々政府と国民との間で大きな軋轢を呼ぶことに必ずつながっていくであろうように感じられるところです

菅総理に関しましては、オリンピック開催式に際しても、その大会名誉総裁を務められる天皇陛下が開会宣言を述べられた際に、当初着席したままだった件も取り沙汰されたところですけれども、組織委員会のアナウンスミスがあったにしても、通常組織のトップたる人間がこのように気の緩んだ失態を見せることはそうはないことのように思えますし、優れたトップというのは常に最大漏らさず物事に注意を払っていることの方が普通です

それが国の宰相であり、新型コロナという国難の中、世界的イベントを主催しようという国のトップとして気が緩みすぎていないかと感じられるとともに、最近の極めて危機的な状況が募って来ている国際情勢を考えましても、その振る舞いに垣間見える危機感のなさ、責任意識の乏しさというものに対して、多くの国民は不信感を募らせているのではないでしょうか

日本の政治家や官僚が近年見せる態度には、極めて個人主義的で傲慢なところが多く見受けられることをずっと懸念していたところであり、国民感情の軽視や国民の象徴たる天皇や皇族に対しても、その存在を軽んじているように見受けられることがままあると個人的には感じています

次の衆議院選挙で仮に政権がどうなったところで、現在の様々な危機的状況の中で国民の信頼に足る政権が出てくるとも到底思われない訳ですけれども、そうした状況下において我々日本国民が唯一頼りにできるのが天皇陛下という存在なのであり、わたしが天皇陛下の火星について、以前からずっと注視しておりますのは、どうやら天皇陛下が直々に国民の音頭を取らざるを得ないような周辺状況が調っていくのではないか、という予感に基づいたものなのです

ですから、天皇陛下が憲法第4条の規定にも関わらず、従来のように単に国民をねぎらったり慰めたり褒めたりということに留まらず、国民を強く鼓舞し、日本民族の赴くべき方向性について、その精神的な指針をお示しになるようなことが必要な状況というものが、着々と生まれつつあるのだと感じられるところです

そして、そこで最も重要となってくるのは国民の選択ということになります

今新たに兆している極めて困難な諸状況の中で、政治家や官僚の独善的な無責任さや無能さを目の当たりにし、それに取って代わる真のリーダー的存在として誰を求めるのか、そして、先の敗戦以降に著しく歪められた史観に基づいている現体制についても、今後どのように変えることを望むのか、ということの選択を国民自身が問われるような状況となってくるだろうということです

ですから、水瓶座1度にある天皇陛下の出生火星が、岩戸開きに登場した天津神に見立てられるトランスサタニアンのイングレスやミニトラインの形成に触発されて発動されてくるにしても、結局はそれを国民が支持するのか否か、国民の意思がどのような形で表現されるのかに懸かってくることになるのではないかと思われるところです

ここで勘違いされては困ることとして、以前の明治天皇や戦前までの昭和天皇のような形で、天皇の統治権が復活するようなイメージはわたしは一切持っていません

※明治や戦前の昭和におきましても、実際の天皇のあり方というのは、その一般的に持たれているイメージとは異なり、本質的には現行憲法下における天皇のあり方とさほど変わりはないのですけれでも、政治介入が明確に禁じられている点については大きく異なると言えるのではないでしょうか

そもそも風の時代におきましては、これまでの中央集権的な社会システムが徐々に解体されて非中央集権型の社会へと移行していくとみていますので、政府の担っている機能は国防や外交などが中心となり、その他の生活に密接な分野に関する許認可を始めとする諸規制も徐々に緩められたり撤廃されていく流れとなるものとイメージしていますので、当然ながら天皇による中央集権的な統治などをイメージしている訳ではありません

しかし、現行体制において国民の直接的な旗振り役、音頭取りを務めている政府の役割や存在感が大きく萎んでいく流れの中で、国民の統合の象徴としての天皇の位置づけは、より重要性を持つものとして見直されてくるのではないか、というように感じられるということです

日本人について

ここでついでに日本人というものについて、あらためて考えて見たいと思います

近年のDNA研究の進展によりまして、日本人の独自性というものが随分明らかにされてきていると感じられるところですけれども、わたしが注目しているのは特に弥生人と称される人達に関するDNAの分析結果です

弥生人(やよいじん)は弥生時代に日本列島に居住した人々。大きく、弥生時代に中国大陸や朝鮮半島等から日本列島に渡来してきた「大陸系弥生人」、縄文人が直接新文化を受け入れた結果誕生した「縄文系弥生人」、および両者の混血である「混血系弥生人」とに分けられる。

Wikipediaより

縄文人というのは他の東アジア人とは別系統であることがDNA分析から別ってきていますけれども、その日本列島に住む縄文人に大陸や半島の東アジア人種が混血して現代の日本人につながる人種が形成されてきたといういわゆる二重構造説ということが、もっぱらこれまでの学会の考え方の主流となっていました

しかし、近年の弥生人のDNA分析によりますと、明らかに渡来系と目される人骨からことごとく縄文系の遺伝的要素が抽出されることが分かり、従来の日本人起源論を再考する必要性が出て来ているということです

国立科学博物館の研究グループが、国の科研費と呼ばれる補助金を使用した際に国に提出する研究成果報告において、次のように記しています

弥生人の遺伝的多様性は従来考えられていたより大きなものだった、そして渡来系弥生人もすでに在来の縄文人と混血していることも明らかとなった。これらの事実は従来の日本人起源論を再考する必要があることを示唆している。

全ゲノム解析法を用いた縄文人と渡来系弥生人の関係の解明」より抜粋

また、同じ研究グループを中心とした科研費を用いた研究は現在進行形でも進められており、その中間報告の中でも次のように触れられています

渡来系集団の起源地と考えられる韓国の6千年前の貝塚人骨である加徳島の新石器時代の遺跡から出土人骨のゲノム解析を行い,彼らが現代の韓国人よりも縄文的な要素を多く持っていることを見いだし報告した。

古代人ゲノム配列解析にもとづくヤポネシア人進化の解明」より抜粋

つまりは、DNAのゲノム分析によって、大陸や半島由来と考えられていた弥生人は、皆、縄文系の遺伝形質を持っていました、さらに古代朝鮮人についても縄文系の遺伝形質を持っていました、ということなのです

国立博物館は関連する研究成果をYouTubeで配信していますが、関連動画からのキャプチャーは次のとおりですですけれども、韓国南部の古代人のDNAが、現在の本土日本人の遺伝子のハプログループに非常に近い遺伝形質を持った存在であったことが分かります

ゲノムからみる弥生時代人 I 神澤秀明 博士(国立科学博物館)より

ここへ来て、一般の方々であれば素直に次のように考えるのではないでしょうか

大陸から日本への影響という流れを学会は頑なに固守しようとばかりしているけれども、反対に日本列島にいた縄文人が半島や大陸に進出して弥生人が形成されたという流れを何故考えようとしないのだろうか?

もっとも在野的な研究者などにおいては、朝鮮半島南部に多く出土する縄文土器や前方後円墳や出土人骨などから、半島に先に済んでいたのは日本列島から渡った縄文人ということを言う方も多くいらっしゃいます

また、他の学術研究によりましても、中国の古代国家のひとつである呉と日本との関わりについて、次のように明らかにしています

近年、遺伝子分析技術の発達によって、筑紫地方(『日本書紀』の「国生み」)と、呉人は極めて関係が深いということが明らかになってきた(日本人#系統参照)。1999年3月18日、東京国立博物館で江南人骨日中共同調査団(山口敏団長)によって「江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、 歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、福岡山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較した結果、春秋時代人と前漢時代人は弥生人と酷似していた。DNA分析では、江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、福岡県太宰府の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致したと発表された。

Wikipedia「倭人」より抜粋

中国においても倭人は呉人の子孫との言い伝えがあるということですし、倭人というのは日本人の古称であるともっぱらされているのですけれども、実のところはそうではなく、大陸に住んでいる人達にも用いられていたというか、全体的には中国大陸にいた倭人が日本列島に移り住んで日本列島の倭人になった、という文脈で語られているものが主流であるようです

長江流域の「倭族」

倭・倭人を日本列島に限定しないで広範囲にわたる地域を包括する民族概念として「倭族」がある。鳥越憲三郎の説[4]では倭族とは「稲作を伴って日本列島に渡来した倭人、つまり弥生人と祖先を同じくし、また同系の文化を共有する人たちを総称した用語」である[5]。鳥越は『論衡』から『旧唐書』にいたる史書における倭人の記述を読解し、長江(揚子江)上流域の四川・雲南・貴州の各省にかけて、複数の倭人の王国があったと指摘した。その諸王国は例えば『史記』にある国名でいえば以下の諸国である。滇(てん)、夜郎(貴州省赫章県に比定され、現在はイ族ミャオ族ペー族回族などが居住)、昆明、且蘭(しょらん)、徙(し)、キョウ都(現在の揚州市邗江区に比定)、蜀、巴(重慶市)など[4][6][4]。鳥越は倭族の起源地を雲南省の湖滇池(滇池)に比定し、水稲の人工栽培に成功したとし、倭族の一部が日本列島に移住し、また他の倭族と分岐していったとした[4]。分岐したと比定される民族には、イ族、ハニ族 (古代での和夷に比定。またタイではアカ族[7])、タイ族、ワ族[8]、ミャオ族、カレン族、ラワ族などがある[9]。これらの民族間では高床式建物、貫頭衣、注連縄などの風俗が共通するとしている[4]

この倭族論は長江文明を母体にした民族系統論といってよく、観点は異なるが環境考古学の安田喜憲の長江文明論などとも重なっている。

「百越」としての倭人

「夷」「越人」としての倭人

諏訪春雄は倭族を百越の一部としている[10]。百越とは、長江・揚子江流域に住む諸々の種族の意で、春秋時代の呉・越も含む(呉は現在の江蘇省、越は現在の浙江省一帯)。

岡田英弘は、倭国の形成について、現在のシンガポールやマレーシアのような「中国系の移民(華僑)と、現地住民とのハイブリッド状態である、都市国家の連合体」であるとして、現在の中国人(漢人)自体も使用言語の共通があるだけで、起源はさまざまな民族がまじっていることから、「漢王朝末期の衰退がなければ、日本列島も『中国文明の一部』になった可能性が高い」とも述べている。岡田は中国古代王朝の夏やその後継といわれる河南省の禹県や杞県などを参照しながら、「夷(い)」とよばれた夏人が長江や淮河流域の東南アジア系の原住民であったこと、また禹の墓があると伝承される会稽山が越人の聖地でもあり、福建省、広東省、広西省からベトナムにかけて活動していた越人が夏人の末裔を自称していること、また周顕王36年(前333年、楚威王7年)越国が楚に滅ぼされ越人が四散した後秦始皇帝28年(前219年)に琅邪(ろうや)を出発したといわれる徐福の伝承などを示した上で、後燕人が朝鮮半島に進出する前にこれら越人が日本列島に到着したのだろうと推定する[11]

呉人としての倭人

現在では、紀元前450年頃の、つまり春秋時代(「呉越同舟」で有名な呉越戦争の時代で、呉が滅亡した時期)の組織的な大規模な水田跡が九州で見つかっており、また、「倭人は周の子孫を自称した。」という記録もあることから、長江文明の象徴でもある水耕稲作文化の揚子江一帯の呉人が紀元前5世紀頃、呉王国滅亡とともに大挙して日島に漂着していたという説も有力になっている。春秋時代の呉人は百越のひとつでもある。

Wikipedia「倭人」より抜粋

日本人というのは、要するに長江文明を作った人達とのつながりが非常に強いとされている訳ですけれども、長江文明は時期的には紀元前1万4千年頃に始まったとされています

長江文明(ちょうこうぶんめい)は、中国長江流域で起こった複数の古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年頃から紀元前1000年頃までが範囲に入る[1]。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。

Wikipedia「長江文明」より

一方で、縄文人文化のはじまりもそれに近いような年代ですけれども、日本列島に人類が顕れたのは、3万8千年前頃であり、その人達が縄文人となった可能性が高そうです

縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。(中略)日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。

読売新聞オンライン(斎藤成也・国立遺伝学研究所教授へのインタビュー)より

また、次の記事にあるように、日本に最初に現れて後に縄文人になったと考えられる人達が最初に使用していた磨製石器は世界最古のものとして発見されています

日本では、旧石器時代に刃部磨製石斧(局部磨製石斧)が作られた。最古の例は日本で、3万8千年前から3万5千年前に遡る。打製石斧と併用したが、3万年前には見られなくなった[2]

Wikipedia「磨製石器」より

そもそも日本列島における縄文文化の広がりと厚みを考えます時に、それは世界的に見てもかなり早期の段階において非常に栄えた文化であったとともに、非常に安定的に1万年以上も継続して栄えた特異な文化であるのではないかと素人考えながら感じるところです

結論として、どういうことを言いたいのかと申しますと、日本列島に辿り着いてそこで縄文人となった人々が、その後大陸に進出し、その子孫達が他のたくさんの民族とも関わり合いながら長江文明を築くとともに、それに続く楚・呉・越などの国々を作るなどして中国文化の様々な基礎を作った後、日本列島に戻って来て大和王朝を築いたのではないか、というようなことです

現段階では考古学的にも人類学的にもこうした古い時代に関して確定的に言えることは何もないというのが現状なのですけれども、であれば、もっと様々な形で推論が試みられるべきであろうけれども、科学研究はあまりにも世界の現在の状況に縛られすぎた偏った狭い見方しかしていないと感じられるところです

以上は、体系的に歴史などを学んだことのない人間が、主には霊的な直感を頼りに考えているだけの、取るに足らない空想に過ぎませんけれども、敢えてこういう話を持ち出してみましたのは、これからの日本をどうするかという判断を皆様がするに際して、こうした発想が役に立つ部分があるのではないかと考えたからに他なりません

風の時代の価値基準

そもそも、これからの風の時代の精神主義的・霊的な価値基準に基づけば、日本人がどのような経緯で現在の日本人に通じるような霊性・精神性を獲得したのか、ということの方に関心が向かうべきですので、DNAを始めとする肉体的レベルの経緯ばかりに関心を向けていてもあまり意味はないということになります

無論、ある霊的資質の発現のために、肉体的資質も大きく関与してくるようにはなるでしょうけれども、現在世界の人が日本人に見ているその精神性というのは、我々に外見上似ている他の東洋人とはまったく異なっている側面が明らかにあるでしょうし、そのことは肉体的・物質的レベルの研究をいくら推し進めたところで、精神性の違いを遺伝形質の差違だけで語ることはまったくできないことを意味しています

それは、DNAの多くを共有する家族間においてさえ、比較的低次の素行は似通ってくる部分があるものの、その人の人格や人間性・精神性というものは、まったく家族的因果関係からはかけ離れた次元において、別様に発揮されるものでしかないという事実をみても分かります

この風の時代におきましては、これまでのように収入の多寡やステータスなどの外在的な価値によって人の価値が定められるのではなく、純粋にその人の持つ精神性の高さや低さというものが基準になってくるようになる、ということをこれまでの記事でも何度か書いていたところです

また、それと同様に国に対する評価と言いますのも、これまではもっぱら経済的発展度やその規模などによって国のレベルが定められていましたけれども、これからは次第に、その国を構成する人達の精神性や民度に対する評価というものが評価の基準として重要視されるようになってくるでしょう

例えばお隣の中国は今ではGNPでこの日本を抜いて世界2位となりましたけれども、その精神的中身を見ますと、およそ先進国とは見なしがたい低い後進性を未だに根深く持っていると感じられるところです

こうしたことは反対に言えば、中国の存在というものが世界における新しい時代の価値転換において、とても重要な役割を果たすことになる可能性を予感させることになります

漢民族というのは、比較的最近になって西洋の影響で用いられるようになった古称で、元々は漢族や華夏族と言って、同じ文化を共有する複数民俗集団に対する概念であったようです

「漢民族」という言葉が近代になって現れたことである。これまでは「漢人」と呼ばれていた。「漢民族」は近代に西洋の概念を導入して定型化した名詞で、「漢人」という言葉は古代中国ではずっと文化共同体の名称に似ていた。

漢族は黄河文明を生み出した華夏族と周辺の多民族との混淆で形成された民族概念である[9]。ゆえに、異民族の出身であっても漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族とみなされる。[要出典]

Wikipedia「漢民族」より

中国の人達は自分たちの源を黄河文明に求めることが多いとされているようですけれども、わたしの個人的なイメージとしましては、長江文明を生み出した人達が次第に衰退(その主流の人達がルーツである日本列島に帰還)していく一方で、現在の漢民族の概念に直接つながってくるような人達が、最初の統一王朝である秦や次の漢の時代以降に形成され台頭し主流となるようになって、その結果として、次第に中国では文化の発展が何故か停滞するようになってしまった、という印象を個人的には持っています

中国には明らかに黄河文明系と長江文明系という2つの大きな文化的、人種的な流れがあるようで、後の時代に黄河文明系が主流になってきてから、中国は一切発展しなくなった、つまりは日本列島から進出して長江文明を築いた人達が日本列島に帰ってしまってからは次第に鳴かず飛ばずの状態に陥ってしまったのではないか、という印象を抱いています

ちなみに長江文明は黄河文明よりも古い文明であるとのことです

また、中国において発生した筈の儒教を始めとする多くの古い文化が本国では形式的には残っていたとしても実質的にまったく失われており、反対に日本においては非常によく浸透して残っているという不思議さ、というようなことを考えましても、そもそもその種を蒔いたのが日本人の祖先だったからと考えれば、非常に合点がいく部分が多くあります

無論、わたしは歴史に詳しい訳ではなく、ここに書いていることはあくまでも霊的直感でそのように感じているというだけのことであり、学術的な歴史論などを展開しているのではありませんので、その点くれぐれもご了承いただけますようよろしくお願いいたします

さてここで、ルドルフ・シュタイナーによる中国に関する言及についてみてみたいと思います

『(中国は)アトランティス文化の繰り返しで、古代の叡智を所有している。アトランティス文化には歴史がなかったので、中国も無歴史的である。』(シュタイナー用語辞典より)

『アトランティス時代にあったものをくりかえし、新しいものを拒んで硬直した中国文化・・・あらゆる方向に築かれた中国の石塀は、アトランティス後の時代に発展したものを遠ざけています。』(「民族魂の使命」より)

ちょっと読んでも意味がよく分からないかと思いますけれども、石塀というのは勿論万里の長城のことでしょう

万里の長城は秦王朝以降に長い年月にわたって築かれたようですけれども、要するに上のところでわたしが書いたことにも通じているのですけれども、大体秦王朝以降に中国は本当の意味で中国化した、中国化とはあらゆる発展を拒否する硬直的な文化であり、それを象徴しているのが万里の長城である、ということが言え、やはりその頃を境に黄河文明系が主流となって、文化の発展が止まったと考えてよさそうです

匈奴のような北方の異民族が侵攻してくるのを迎撃するために、秦代の紀元前214年に始皇帝によって建設された。長城は始皇帝によって建設されたと一般には考えられているが、実際にはその後いくつかの王朝によって修築と移転が繰り返され、現存の「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。

Wikipedia「万里の長城」より

漢民族を世界の中心とみなす中華思想の本質というのは、ある意味では万里の長城によって閉鎖された世界の内側だけを見ていたいという、引き籠もり的な発想の裏返しに過ぎないことがこことお分かりになるのではないかと思います

しかし、時代が移って世界中の国々との開かれた関係性を築かなければならない時代となり、それまでは限られた世界の中だけで通用していたジャイアン的な自己中心主義が通用しない時代となりました

そこで中国がやり始めたことというのは、実質的に万里の長城の代わりとなるようなものを世界中に広げていこうということになります

自分を中心とする自己中心的世界観が通用する世界を、世の中に少しずつ広げていきたいというのが、中国の野望であることが分かります

中国の外交というものが、何故に徹底して自分を利するだけの一方的な関係性を築こうとしているのかというのは、中国は外国を自分の属国としてしか見なすことができず、外国を属国のように見なすということは、それは自分の周りに万里の長城を築いて自分が安心できる空間を作りその閉鎖的な世界の中心だけを見つめてに閉じ籠もっていたいという、精神的動機としてはまったく一緒のことをしているという訳です

最後に

中国に関しましては、その本質をかなり正確に見抜くことができましたけれども、世の中の価値基準が根本的に変わっていくであろう中で、幼稚で野蛮な停滞したな精神性しか持ち合わせない中国が一体どうなっていくのか、隣人の私たちとしても大変気になるところです

中国が抱えている問題が解決されるためには、世界がひとつに纏まっていく、国境や人種の壁というものがなくなっていくボーダーレス化が進まなければならないでしょう

そもそも壁の必要性がないような社会に世界はならなければなりませんし、そのことによって中国は自国文化の本質である「壁の呪縛」から解放される可能性が出てくるという訳です

そのためには、中央集権型社会から非中央集権型世界への移行ということがまず必要になります

しかし、壁的な存在や力による序列というものがなくなった時に、世界を秩序立てるもの、その中心として機能するものが何になるのか、ということが大きな課題となってきます

そうなりますと、少なくとも我々にとっては天皇という統合の象徴が歴史を通じて生き続けている訳ですから、そのことは非常に大きな意味を持つことになるでしょう

また、そうした日本を世界の中心とするような流れが次第に生まれてくるのではないでしょうか

 

ということで、今回の内容は一見すると纏まりのない内容が並んでいるようにも見えますけれども、実質的には深くつながり合っている部分があるものです

皆さんがご理解できるように書けたかどうか心配ですけれども、何れにしましても本日も長々とおつきあいをいただき、誠に有り難うございました

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