ネイタルの太陽と木星のセプタイル関連 ~栄光と影~
はじめに
今回は最近気になっている占星術的な小課題としまして、出生図における太陽と木星との間に形成されるセプタイル、バイセプタイル、トリセプタイルのアスペクトについて考えて見たいと思います
セプタイルは7分割に関わるアスペクトですけれども、「7」という数霊はそもそも大きな環境変化をもたらしうる数霊であることに加えまして、ホロスコープ上では360度を割り切ることの出来ない数字であることから、より一層この世ならざる、通常ではあり得ないレベルの奇跡の実現との相関性が強いものとして考えられます
また、51.43度のセプタイルの倍と三倍である102.86度のバイセプタイルと154.29度のトリセプタイルとは、下図のようにそれぞれ異なる形の七芒星を描きだしますけれども、7関連の2つのアスペクトがこの様に別様の形でそれぞれ星形多角形を描く点が非常に面白いです
このことが気になりましたのは、先日、自民党の総裁選で致命的な敗戦を喫しました河野太郎氏、そして、間もなく皇室を離れて一般人となられる眞子内親王殿下とその母君であらせられる秋篠宮皇嗣妃殿下(文仁親王妃紀子さま)のお三方に共通しまして、何れも出生太陽と木星とのセプタイルをオーブ1度未満でお持ちである点に気がづいて気に掛かったことが発端となります
ちなみに、わたしの出生図におきましても出生太陽と木星はオーブ1度未満のバイセプタイルとなっています
その光と影
その他の有名人でよいサンプルがないかと探してみましたところ、出生時間が判明しているマリリン・モンローとダイアナ妃において、それぞれ太陽と木星がオーブ1度未満のバイセプタイル、トリセプタイルとなっていました
また、出生時間が複数あって特定できないものの、マイケル・ジャクソンにつきましても、オーブ1度内外で太陽と木星のセプタイルがあるようですけれども、恐らくは1度以内でタイトにセプタイルが形成される午後の遅い時間のお生まれなのではないかという気がいたします
このお三方というのは、何れも世界的な名声の絶頂を究めると共に、未だその絶頂期にある中で、モンローとダイアナ妃はともに36歳という若さで、マイケルについても50歳にて、何れも自死とも病死とも事故死とも他殺ともとれるような、非常に不可解さの残る怪死を遂げたという点で共通しています
出生太陽と木星のセプタイル関連のアスペクトにつきましては、非常に稀なる幸運に恵まれる可能性が示されていると共に、時としてその幸福を総て帳消しにする程の不運にも見舞われるというパターンがあるのではないかと感じていて、このお三方は似通った運命パターンをお持ちであると感じられたので調べてみましたところ、やはり該当するアスペクトが見つかったというのが、このお三方をピックアップした経緯となります
このアスペクトのみを持って、それぞれの方の人生パターンの総てを語ることは当然できないことながら、そもそも運勢パターンが似ていると感じられた上で共通的な出生太陽と木星との間のセプタイル関連のアスペクトが見つかったということは、やはりこのアスペクトがそのような人生パターンの形成に一定の影響を与えている可能性は大きいように感じられるところです
木星の注意すべき点
勿論、この配置があれば誰しも成功し、その後に一転して不幸な最後を遂げるというようなことを言いたい訳ではないのですけれども、予てからわたしは吉星としての木星に対して非常に慎重で懐疑的な見方をしていました
木星の働きについては、一般的に幸運の星、吉星などと言われています。
一方、土星の働きについては、現代になってから、それまでの大凶星、不吉な星といった伝統的解釈が相当見直されてきています。そのように土星に対する解釈が大幅に見直されている一方で、木星の方の吉星とか幸運の星といった、非常にステレオタイプな見方については、あまり明確な見直しの意見は見かけないように思います。
(中略)
木星が単に拡大拡張というベクトルの働きを持つ星でしかないと考えますと、現代の先進国のような基本的な生活環境が十分に整った状況においてそれを活用することには、一定の慎重さが必要な側面があるように思われます。
人が極めて数少ない望みを、一生を賭して叶えようとしていたような昔の時代とは違い、現代人の欲求や願望というのは、非常に利己的で反自然的な要素が多分に含まれたものであり、それらの多欲によって、現代人の多くは心身を病んでいる状態であるといってもいいのではないでしょうか。
物事が過剰な状態に至りますと、それは必ず腐敗を招いたり、自己目的化していく傾向を帯びることになります。そうしたことが木星の持つ宿命的なウィークポイントであり、反作用的に非平衡的な状態をもたらす可能性を常に秘めているという点に注意することが必要であるということになります。
現代人は富んで益々富を欲し続け、そうした中でまっとうな人間性を喪失し、心の平安を自ら放棄していく傾向があることを踏まえますと、近年に土星の働きが見直される動きが盛んである流れというのは、至極当然であるというように考えることができるかと思います。従来のような「不足」ではなく、むしろ「過剰」という要素が様々な深刻な問題を引き起こしている状況下にあるということです。
「t木星とt金星の合 ~木星は本当に吉星か?~」(2017年10月)より
それでは、自分自身が出生太陽と木星との間にタイトなバイセプタイルを持つわたしの場合どのように作用したかと申しますと、若い頃に何十億もの個人資産を持っている方との結婚で逆玉の輿に乗る寸前までいっていたのですけれども、以前の記事でその顛末を書いていましたので次に引用しておきます
さて、木星は火の柔軟サインである射手座の支配星であり、木星自身もやはり火のエレメントの要素の一部分を持っています
それは拡大・発展といった、物事の成長を促すエネルギーでありますけれども、木星には抑制という機能が一切ないところに問題があります
栄養を取り過ぎた人が肥満体になるように、意味のない膨張や肥大をもたらしますし、放縦性や奔放性といった言葉で表現できるあらゆるものが当てはまることになるでしょう
そういう意味では木星を幸運の星というステレオタイプなイメージで捉えることには危険性を伴うことになる可能性があります
わたしの出生木星は牡牛座17度で7室にあります
それだけを見ますと、誰でも玉の輿の結婚というようなことをイメージされるのではないでしょうか
もしくはスポンサーやパトロンを得やすいというようなこともあるかも知れませんわたしの木星はグランド・トラインの頂点のひとつとなっており、特段傷つけられるような悪い配置とは縁がないのですけれども、自分の中でこの木星が幸運をもたらしてくれるようなイメージはあまりなく、むしろ反対のイメージの方が圧倒的に強く感じられるところです
7室と言えば結婚運ですけれども、わたしは生涯独身の身を保つと思いますけれども、若い頃に結婚に一番近い関係に至った相手の方というのは、自分名義で何十億もの資産を持つ大変美しい方でしたので、そういう意味では出生図通りの結婚運を一応持っていると考えられるでしょう
電撃的な激しい相思相愛でつきあい始め、はじめから双方が生涯の相手と強く意識していたのですけれども、ある時、資産家の彼女からは当然のことのように「婿に入れ」と言われました
こちらは突然のことで思わず躊躇していると、新婚生活のために自分が棟ごと所有しているマンションのペントハウスだって人に貸さないで空けたままにしてるのに、と激しく彼女は憤りました
そこでわたしが悟ったのは、その人と結婚すれば、生涯自分はその相手の添え物のような存在となってしまうとともに、人生の大半を支配されてしまう結果となるだろうということでした
現実界で大きな幸運に恵まれるということには、それに見合った制約というものも一緒に付随してついてくる可能性があるということを忘れてはいけないでしょう
それはスポンサーやパトロンのような存在に対しても同様に言えることと考えられますしかし、わたしは自分の精神の自由というものを微塵も侵されることを絶対に許さない水瓶座の初期の度数に出生太陽を持ちますので、どのような恩恵が来ようとも、それが自分の精神の自由を少しでも損なって犠牲にするような形では、如何なる好条件とはいえ絶対にそれを受け入れようとは思わないのです
「木星の適切な活用について」(2018年5月)より
この記事を書きました際には、出生太陽と木星のバイセプタイルということについては特に意識していなかったのですけれども、考えて見ればその配置がもたらすもののネガティブな側面を直感的に感じていて、意識的にそれを避けたところがあったのだとも感じられるところです
太陽と木星のセプタイルがもたらすものに関しましては、先日の総裁選絡みの河野氏に関する部分でも少し触れていました
最後に太陽と木星のセプタイルですけれども、これは奇跡的な成功や幸運に恵まれやすいところがあるでしょうけれども、その幸運を維持するだけの人間力や実力が伴っていないのであれば、それはやがて失われる可能性もありますし、特に木星は土星が開拓されていない人の場合は歯止めが利かずに膨張してそのまま破裂して自滅、というようなことも引き起こしかねないところもありますので注意が必要となります
「2021年 自民党総裁選候補関連」(2021年9月)より
河野氏は運気的には絶頂期にあって、場合によっては総裁選に勝っていた可能性もあるのですけれども、もし、河野氏が今回実際に総裁となっていた場合には、わたしは河野氏は大変失礼ながら「怪死」と非常に縁がありそうな方であるように感じられていますので、米国からの圧力で本当にそのような最後を遂げることになっていたなった可能性もあったように感じられます
ですから、わたしの場合も逆玉の輿に乗らないで非常に良かったと思いますのと同様に、河野氏も今回の総裁選で総裁にならなくて良かったのだと言える部分があるのかも知れません
皇室の母娘のケース
秋篠宮皇嗣妃殿下(紀子様)のケースでは、単に太陽と木星のセプタイルばかりでなく、蟹座28度の木星との間には乙女座19度の太陽と冥王星、加えて乙女座20度の水星と天王星という極端に集合した天体群の何れからもセプタイルということで、極めて特徴的なセプタイル過多の出生図をお持ちです
そして、お父上が学習院の助教授をされており、大学キャンパス内の団地様の教職員宿舎にお住まいであったことから、「3LDKのプリンセス」などと世間から囃されましたけれども、その様な生活から一転して皇室に嫁がれたことは、「平成のシンデレラ」と呼ばれましたように、正にセプタイル的な奇跡的な夢が叶うようなシンデレラストーリーの実現につながっていました
母親と娘との間で、出生太陽と木星の間のオーブ1度未満のタイトなセプタイルという共通するアスペクトがあるということも非常に珍しく大変興味深いことなのですけれども、一方が、一般の慎ましい学者の家庭からプリンセスへというシンデレラストーリーを歩んだのとは正反対に、娘の方は皇室のプリンセスから一転して、世間から非常によく思われていない一介の一般人の家庭に、誰からも歓迎されずに駆け落ち同然で降嫁される、というような極端な対象性があり、そこに同じ天体の配置がある点が実に興味深い訳です
お二人ともまだ先が長いですし、これからの人生がどのようになっていくのかは分からないところですけれども、少なくとも現時点で考えれば、母に対してはこの天体配置の光と栄光の部分が専ら表れて、反対に娘の場合はその影の部分だけが表れるように作用し、一人の人生の中で明暗が表れるのとは違って、その明暗が母娘の間で分けられる格好で作用している特殊的な例であると言えるのかも知れません
眞子内親王殿下は今年の2月下旬に進行の満月を迎えられましたけれども、太陽は蠍座30度、月は牡牛座30度というサインの終わりの度数での満月でしたので、何か大きなものを手放して新たな次の局面へと進んでいきたくなるような位置での満月でした
加えまして、今年5月に進行土星が魚座にイングレスしたのに続きまして、進行太陽も来年に入ってすぐに射手座へとイングレスすることになりますので、心境的には非常に大きな変わり目を迎えている時期であるということが言えます
また、今月下旬に迎えられる太陽回帰に際しましては、出生図でお持ちの水星を頂点とし、金星とノード及び海王星を底辺とする小三角に対して、経過天王星が頂点となるカイトを形成します(※ノードは表示されていませんけれども山羊座13度にあります)
何かしらご本人がお持ちの資質を、今後新たに活かしていけるような道が拓かれるような変化へとつながっていくように活かせれば好いのではないかと感じられます
本来であれば2019年から2020年に掛けて経過天王星がMcとMcに合した月に何度かコンジャンクションしていましたので、その辺りで社会的立場の急変ということで結婚等で皇籍離脱していた方が自然だったのかも知れませんけれども、何れにしましても経過天王星が10室に掛かっていますので社会的立場が大きく急変する流れに現在もあるということではあるのでしょう
一方で、太陽回帰図そのものの方では山羊座24度の冥王星と天秤座24度の火星と牡牛座24度の月の間で冥王星→火星でスクエア、火星→月でインコンジャンクト、冥王星→月でトラインとなっており、オーブ2度以上を許容するとすれば、木星→火星でトライン、木星→月でスクエアも加わるといった感じで、何だか吉凶が入り交じったような複雑な配置と感じられるところです
何れにしましても、この方が日本社会や皇室に対して果たされた役割につきましてはともかくとしまして、今後の一般人としての人生が少なくともこの方自身にとっては、幸福なるものであることを願うばかります
ニューヨークにリロケーションされるとなれば、これまではIcに合していた出生太陽や火星の状況がガラリと変わりますし、ほとんどの天体が地平線の下にあり月だけが1つMc付近にあるというほぼバケットに近い形でしたけれども、今度は天体のほとんどが左半球に移ったり、カルミネート天体もこれまでの月から木星と合した金星に変わるなどしますので、大分印象が変わってくることになるでしょう
木星の活かし方
木星というのは本来的には人間の精神成長を促進させる天体なのですけれども、それに対して、これまでの物質主義的な世の中は、この世的な富や名声などを与えるものとして錯誤していることにより、かえって木星のネガティブな働きを引き出している、という側面があるのではなかろうかと感じられます
例えば今回取り上げました、出生太陽と木星とのセプタイル関連のアスペクトにつきましても、それが物質主義的に叶えられる道とともに、精神主義的に叶えられる道という2つの両極的な道が示されているのではないかと考えられます
そして、その作用を物質主義的な方面で働かせるのではなく、もっぱら精神主義的に、自己の心の豊かさといった方面に向ける分には、何ら弊害がもたらされる気遣いはないと言えるでしょう
例えばわたしの場合であれば、逆玉の輿の道という極めて実利的な選択した場合には、一生涯誰かの添え物として、非常に心の上では苦しい生涯を送る羽目に陥ることになったであろうことは、容易に予想されるのですけれども、それを退けたことによって、自らの心に従った自由な人生を得ることができたということが言い得るものかも知れません
一般的に物質的に恵まれるということは、精神的に貧しくなるということを意味する側面が必ずありますし、人気や名声などもあまりにもそれが過ぎたレベルになりますと、心は反対に虚無に陥っていったりし勝ちなものです
現代の日本のように一定以上の豊さに恵まれた社会環境において、足下の幸福に目を向けずに際限なく更なる幸福を追い求めようとする極めて物質主義的なあり方と言いますのは、木星のもたらす膨張作用によって、どんどん中身が虚していく、見かけ上の成功や繁栄を直接的な契機として、実質的にはむしろ破滅の方向に向かっていく、という傾向の人生パターンが多く作り出されるのではないだろうかと感じられるところです
日本の古い道歌に、「思うこと 一つ叶えばまた二つ 三つ四つ五つ 六つかしの世や」という、人間の欲の際限のなさを歌ったものがありますけれども、夢や幸運というのはそれが実現した瞬間に、ただの味気ない現実へと化してしまうことになりす
孔子は「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と語りましたけれども、これは真理を悟り得るということが何ものにも代えがたい価値あることと見なしていたということですけれども、人間が死してあの世に持って行けるのはそのような精神的に得た糧だけなのであり、木星がもたらすものには物質的幸運と精神的幸運との二通りがあるという場合に、物質的幸運を切り捨てる必要は決してないものの、主としては精神的幸福や安心立命の境地を得ることを主眼として生きた方が間違いは少ない筈です
まとめ
ということで、これからの精神主義的な生き方にシフトしてゆく時代にあって、まずは自身の幸福の求め方というものを、一から見直すべき時期が来ており、見えない心の豊かさというものにもっと心の照準を向けていかなければならないのではないかと感じられるところです
マイケルジャクソンやマリリンモンローやダイアナ妃らが不運な末路を辿られたということにつきましては、ご本人達の生き方に問題があったというよりも、恐らくは物質主義的な社会がその富や繁栄の象徴として彼(彼女)らを祭り上げたことの反動が彼(彼女)らに及んで被害者的な形で不運を被ることになったということなのではなかろうかと感じられます
現代という時代において人類は、目に見えるものと見えないものとのうち何れを信じて選び取るのか、ということの選別に掛けられている時代なのではないか、という気がするところですけれども如何でしょうか
ということで内容があまり纏まっていないかも知れませんけれども、最後までお読みいただき誠に有り難うございました
“ネイタルの太陽と木星のセプタイル関連 ~栄光と影~” に対して1件のコメントがあります。